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1章 1

Penulis: 深田あり
last update Tanggal publikasi: 2026-04-19 20:15:40

初夏。日増しに気温は高くなり、青々とした空が四時を過ぎても維持されるようになった五月下旬。

長袖ではもう暑くて仕方がなく、俺はブレザーを脱いで肩にかけながら電車に揺られ、帰宅の途につく。

電車の中には帰宅途中の学生の姿がちらほら見える。リーマンの姿はさほど多くなく、彼らはまだ働いているということだろう。

俺はドアに体重を預け、窓から街並みをぼんやりと眺める。

何の変哲もない地方都市。東京のようにビルがひしめくことはなく、少し走れば田園風景が広がり、忘れた頃にマンションやオフィスビルなどがぽこぽこと姿を現し、また消えていく。

道路はかじってテーブルにこぼしたクッキーの破片のようにパラパラと見える。白や銀の車がヤケに多いのは彼らの美意識が共有されているからか、それとも目立つのが嫌だからか。後者ならば俺も同じだ。

いつもの風景。特に何か思うこともない平均的で、平凡で、退屈で、でも、それでいいと思える景色。

特別なことなど必要か? 個性なんか必要か? 俺はいらないと思う。あるいは、仮にあったとしてもそれは世界に対して何ら影響を及ぼさない。そして、それでいいのだと。 何も考えず、何も思わず、自動的に生きていく。

――だってそうでないと、俺は嫉妬に押しつぶされてしまうから。

「おかえり」

家に帰るなり、リビングからサキの声がつまらなそうに響いた。

サキというのは姉のことだ。

「ただいま」

俺が返事をしながら靴を脱ぎ、リビングには行かず自室に戻ろうとして――

「誕生日おめでとう」

そんな声と共にドアが開かれ、サキがひょっこりと顔を出してきた。栗色の長髪がやけに目立つ細身の女性。姉とは思えないほど顔の造形が整っている。

背も高いし、凜々しさを全身からオーラのように漂わせているし、なんていうか俺とは違う。

強いて言うなら胸のサイズは俺と大して変わらん。

……男と比較するのは失礼か? まあいいか。

と、サキが刃物を思わせる鋭い双眼でじっと俺を見つめながら不思議そうに首を傾げる。

「どったの?」

「いや、別に。で、今年は何?」

「ご挨拶だねえ。毎年言ってるけどさ、せめて趣味でも始めなよ。あんたスゲーつまんない男なんだからさ」

まあ、確かに俺は無趣味だが、それでもはっきりこう言われると少し思う所はある。

サキは多趣味だからな。

でも、だからこそ、お下がりは気にくわない。わずかな抵抗。

「別に趣味ってわざわざ作るもんじゃなくね?」

「まあまあ、あたしもさ、来年あんたにプレゼントあげられるかわからないんだし、そもそもこれから一人暮らしじゃん? 何もすることないとつまんないよ? こうして構ってあげることもできなくなるんだし」

「留学、楽しそうだね」

俺が嫉妬に狂いそうになる相手。それが彼女だ。

「まあね。アメリカとか楽しそうじゃん? ついでに他のあちこちも観光旅行してくるんだー、パパとママもついてくるしさ」

「俺も行こうか?」

「あんた受験生じゃん。ダメ。それともあっちの大学行く? 英語できる?」

「…………」

悪気がないのはわかる。サキは思ったことを何でも口に出すタイプだ。

でも、だからと言ってムカつかないかというとそれは違う。

「親父もお袋もサキには甘いんだもんな」

「年頃の娘を一人外国には送りたくないっていう親心じゃん」

「だったら俺にも愛情注げよ」

「注いでるって。あんた卑屈になりすぎ」

サキはそう言うが、ぶっちゃけ俺は愛されていない。少なくともサキほどは。

理由はわかってる。サキは優秀で、俺は……自己評価でも中の下程度だからだ。県下最高の偏差値の高校に通い、大学もすんなり第一志望に現役で合格し、海外留学までしちゃうような姉と、第一志望の高校からして偏差値がそこそこなのに落ちて仕方なく滑り止めに入った俺。さらに大学ったってFラン私立くらいしか入れない。死ぬほど頑張ってもマーチが……ダメだ、入れる気しねえ。

しかも俺は暗い。社交的じゃない。サキは社交的だ。友達も多い。しかも見てくれも俺はブサメンではないのだが(自己評価)サキははっきり美人と言える。

ああ、有能な子を可愛がりたくなる気持ちはわかりますとも。 でも嫉妬しちゃいけない。サキが優秀なのは彼女自身が頑張った賜物で、怠けてぐーたら無趣味に生きてきた俺が有能じゃないのは当たり前のことなんだから。

だから何も考えない。何も思わない。趣味さえも、俺にはいらない。

だって、何か思うと、劣等感で押しつぶされそうになる。

「どったん? さっきから黙ってさ」

「いや、何でもない。明日発つんだっけ?」

「そ。だから今日は荷造り。ま、正月には戻ってくるよ」

「盆は戻らないんかい」

ささやかな突っ込み。

サキは目元を緩め、おどけるように肩をすくめる。

「だってあっち新学期九月だし。それまでに色々やんなくちゃいけないことあんのよ」

「最初の一ヶ月は世界旅行のくせに?」

「それを言うな」

てか我が家のどこにそんな金があるというのか。サキに合せてアメリカに転勤までしやがるし、おお共働きうぜえ。

でも少しだけせいせいする。だってサキの有能ぶりを見せつけられたり、両親の偏った愛情の注ぎ方にイラつくこともなくなるのだから。

おそらく全人類で比較すれば俺は恵まれている方なのだろう、愛されている方でもあるのだろう。

でも――人間とは罪なもので、自分より優れた者、好待遇な者と比較されると仮に自分より不遇な人間が何億いようと全く関係なく劣等感が育まれていくのだ。

たとえ虐待されているわけでなくとも、たとえサキが俺に優しく接してくれようとも、何の意味もなさず、問答無用に。

ダメだ、考えるな。いつものように普通に、無欲に、無趣味になれ。 俺は自分に言い聞かせ、箱を見る。今年のプレゼントはえらく小さいな。去年は天体望遠鏡で(サキの趣味だ)、おととしは据え置きゲーム機(これもサキの趣味だ)だった。

「で、これなに?」

「開けてみ」

「……なんじゃこりゃ?」

「イヤホン」

「は?」

今年は随分安いもんよこしたな。しかも無線じゃない。有線だ。なんて安物だ。

「いやあ、悩んだんだけどさ、これならスポーツやってるわけでも、頭がいいわけでもないあんたでも楽しめそうだなって思ってさ、いいやつ選んだんだよ」

「いいやつねえ」

有線のイヤホンにいいやつもクソもあるか。いいとこ三千円ってとこだろ。まあ、箱は結構豪華だからもう少し高いのかもしれないけど。

「おっと、値段は言わないよ。趣味は金じゃないんだ」

「イヤホンって趣味なのか?」

「まあまあ、食わず嫌いしなさんなって」

「ふうん」

思うところは多々あったが、どうせ天体望遠鏡やゲーム機同様使いもせずしまってしまうのだからどうでもいいか。

俺は小さく「ありがと」と呟くと踵をめぐらし、自室に戻った。

「あ、末広」

「何?」

「これから友達とお別れパーティしてくるから今日は夕飯いらない」

「親父とお袋は?」

「明日一緒に発つからって今日中に仕事片付けるんだと。だから帰りは遅い。末広の夕飯は作っといたからそれ温めて食べな」 「…………」

そうそう、サキは料理も上手だったな。 ああ、妬まし……ってそれがいかん。俺はぶんぶんと首を振る。

「……はあ」

  自室につくや鞄をベッドに放り投げ、深いため息をついた。

「イヤホンねえ」

全く興味がない。俺はぽいっと机に放り投げ――たら落ちた。

「ま、いいか」

拾うの面倒臭い。

「さーて、風呂でも洗うか……っと、その前に着替えないとな」

バキッ!

「……あ?」

何だ、やけに硬質な音。すげえ嫌な音。

俺は恐る恐る下を見る。箱がある。潰れてる。俺の体重六十五キロなんだがな。いや、潰れて当たり前か。

「…………」

どうしよう。 俺はしばし硬直し、やがて足をどけた。うん、潰れてる。

「……ま、どうせ使わないし」

俺はそう言って誰に見せるわけでもなく肩をすくめると、そのまま浴室へ向かった。

その翌朝のことだ。目の前に女の子に絡まれたのは。

全裸で、べったりくっついて、タコみたいに絡んで、そして指を耳を突っ込んできて。

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